なぜ「心の体操」(最適な心のトレーニング法)が必要なのか

なぜ「心の体操」(最適な心のトレーニング法)が必要なのか

おそらく多くの人間(世界中)は、精神的側面での基礎的トレーニングを受けたことがありません。その「つけ」として発生している可能性があるのが「うつ病、強迫神経症、不安神経症、パニック障害など」心の病と、心は病んではいないが健康度を低下させてしまったためにその影響として全身に発生する「心身症」なのです。更に、大切なときに能力の発揮を妨たげたり人間関係に影響する「アガリ、イライラ、クヨクヨ、怒りなど」も、心のトレーニングの欠落によるものです。

例えば①
多くの人はある年齢になると「読み、書き、計算」の知識を習得するための基礎的訓練を受けています。それらの知識が必要な事態に直面した時に、その状況に応じた適応をします。しかし、そのような訓練を受けていなければ、適応できず、行き詰まり不適応で立ち往生し、適応の方法が見つからず混乱してしまいます。この差は知的トレーニングの有無の差によるのです。

しかし知的トレーニングを受けていても、中途半端な練習で瞬間的に対応できるように身に付いていなければ役に立ちません。ですから身に付く事前の訓練、トレーニングが必修なのです。

例えば②
水泳の訓練をしなければ泳ぐことが出来ず通称「金槌」と云われます。この金槌状態で、逃げ場のない所にいて、そこの水位がドンドン上昇してきて、首くらいのところまで来て、更に水位が上昇してきたら・・・・そして水位はついに背の丈を超えてしまった。死があるだけです。深い水に適応できなかった結果です。一時間後に水が引いても間に合わないのです。

もし、事前に「犬掻き泳ぎ」でよいから、水泳の訓練をしていたら、水に浮くことが出来て命を長らえ、死なずに済むのです。事前の水泳の訓練により深い水に適応できたからです。溺れかかってから水泳の訓練をしても間に合わないのです。水泳の理論をいくら知っていても、この場合何の役にも立ちません。役に立つのは身に付いた訓練しかないのです。

例えば③
人類発生の昔から人間は精神と肉体が渾然一体の生き物で今も変りません。なのになぜか人間は、精神の動物とか感情の動物と云われてきました。何故、肉体の動物と云われないのでしょうか。その理由は非常に多くの場合、精神活動が「人間の行動の基点」になっているからです。

この大切な人間活動の基点になる精神領域に対して、世界中どこでも、前記の読み書き計算、犬掻き泳ぎに相当する基礎的訓練を、意図的で統一的に行ったことがないのです。そのために精神・感情といわれる領域の許容範囲が狭く、柔軟性に欠け、適応力が小さいので、チョットしたことに過剰に反応して問題を異常に大きくして、収拾困難となった結果が心の病へと繋がっているのです。

この精神領域で発生する病の予防や治癒に、「精神状態を安定・柔軟」にする基礎的訓練が不可欠なのです。読み書き計算が出来なければ知的適応が出来ないで社会生活が困難を極めますし、具体的に泳げなければ溺れてしまう。理論ではなく具体的訓練が必要なように、精神領域も具体的訓練が必要なのであって、精神医学とか心理学とかいわれるテーブル上の「学」では役に立たないのです。机上の抽象論の「学」が跋扈しているために、心の問題の解決の道は一向に開かないのです。日本に昔からある喩えの「畳の上の水練」ではダメなのです。
受験生の「アガリ」・組織の「職場の人間関係問題」などの予防には最適です。

※蛇足①
馬や牛やキリンなどは、生まれてから数時間で歩行が出来るようになりますが、人間は普通に歩行が出来るようになるまで何年もかかります。この間歩行訓練をし、走れるようにもなります。この歩みの司令塔は「脳」です。脳梗塞などで一部が壊れてしまうと、歩行に障害がでることで理解できますし、一歩一歩の足の動きは「脳からの指令」であることも理解できます。そこで、脳も足の筋肉も正常な状態で、ケンケンで歩いてみましょう。右足からスタートして疲れて動かなくなったら、左足でケンケンで進む、続けていれば何度繰り返してもよい・・・・どのくらいの距離を進めるでしょうか?50メートル、100メートル・・・いずれにしてもたいした距離は進めないでしょう。何故でしょう?

又、歩行には足の筋肉に力を入れなければ歩けません。そこで両足を地面につけて、その両足に同時に力を込めてください。両足に力を入れた状態で歩いて下さい。多分、歩けない。

歩くには、片足に力が入ったときに、もう一方の足からは力が抜けているのです。緩急が交互になっているから遠距離も歩ける。この自在性が躓いたときにも適切な対応が出来る。頑張るためには事前によい休みが必要なのです。その基本は「脳」の緩急自在性です。

※蛇足②
あいつは「石頭」だと言われたら、何事にも応用が利かず、使い物にならない奴ということですが、頭が柔らかくて柔軟な奴だと言われたら最高の褒め言葉です。身体も硬いとちょっとした事で怪我をしますが、柔らかいと同じような状態に直面しても怪我をしない。心や精神といわれる領域も硬いと問題を抱えやすいが、柔軟だといろいろな事態(人間関係や不測の事態)に、適切に対応が出来るので、怪我(病)をしないで対処できるのです。頭の柔軟性は知的訓練であり、身体の柔軟性も身体的訓練です。精神も訓練で柔軟性を獲得する必要があるのです。
脳が必要以上に興奮すると、声や手足が振るえる。脳の異状興奮は筋肉の異状緊張を誘発する。